「日本文化を大切にしたバイリンガル子育て」を成功させる方法
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三浦翠香とは?No.4
[パワハラに遭って雇われることをやめた]の続きです。
[夫の専従者そして自分を貫くと決意]
私の夫は個人で塗装業をやっています。
自営業にあたるので、私がその経理を担当することに。
なぜ最初から専従者にならなかったのかと言うと、
「夫に依存しているようで嫌だったから」
自分の仕事は自分のやりたいことをしたかったのです。
ですが、専従者になることで、「専従者控除」が使え、
「配偶者控除」より随分と節税に繋がることに。
税理士ではありませんので、詳しい額は言いませんが、
専従者になった時の控除額は私の「収入」になる訳です。
それがなんとパートに出ていた時の収入と大差がなかった。
つまり、夫の専従者になったことで、
・パート先の人間関係から解放
・子供の急な体調不良などの対応が柔軟に
・経理の仕事は短時間で終わらせ、
自分のやりたい仕事の時間も確保できるように
・節税効果
今まで避けてきた専従者でしたが、
私にとってメリットだらけの状況になりました。
「その仕事の悩み、本当に必要ですか?」
私がブログを始めるようになってから激変したことがあります。
それは、「子育てが気楽になったこと」
子供が急に体調不良になっても、
休むのに余計な気遣いはいりませんし、
私も好きなことを仕事にできているので、
充実感が違います。
アパレルパートで年下上司と上手くやっていかなきゃという
プレッシャーからも解放されて、
性格も穏やかになれ、子育ても大らかに。
それまでの私は、仕事に行くこと、
仕事でのストレスを引きずって子育てもイライラしやすかったと感じています。
「ママはお仕事なの!!早くして!!」と、
保育園送迎もイライラしていました。
そんな経験はないでしょうか?
ママの自由とバイリンガル子育ては密接な関係があります。
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三浦翠香とは?No.3
[子供をわずか10ヶ月で保育所に葛藤の毎日]の続きです。
[パワハラに遭って雇われることをやめた]
第二子出産後もアパレルパートとして勤務するも、
今度はパワハラに遭います。
「今日やらなくてはいけない仕事」にこだわる年下上司。
品出しに夢中でお客様は二の次です。
私は「目の前のお客様を大事にしなくては」と訴えましたが、
接客態度が改善されずに、更に上の上司に相談することになりました。
その頃には胃潰瘍を患い、歩くことも辛くなっていました。
スタッフ間の関係は悪化し、パワハラを受けるようにまで。
「お客様を大事にするのはあなたの仕事」
「私たち上司は作業」
「今日やる作業は終わらせてから帰って」
お客様の対応に私は追われているので、
作業が進むはずもありません。
年下上司の言っていることは、
支離滅裂としていました。
「雇われることはもうやめよう」
と決心したキッカケとなりました。
三浦翠香とは?No.5最終稿
「夫の専従者そして自分の道を貫くと決意」へ続く
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三浦翠香とは?No.2
[結婚すると女性はこんなに働けなくなるの?]の続きです。
[子供をわずか10ヶ月で保育所に葛藤の毎日]
我が子が10ヶ月になった頃、働きたい気持ちが強かった私は、
アパレル店にパートとして勤務し始めます。
子供は10ヶ月ですから私と離れると大泣きし、それで微熱になってしまうことも。
出勤はするのですが、タイムカードを打刻する前に、保育所から電話。
「お熱です。お迎えに来て下さい」と。
年下の上司に謝り、早退させてもらうことが何度も起きました。
「私は働くこと自体、間違っているのだろうか・・・」
20代の頃は、月に20、30万を稼ぐのが楽しかったのに、
出産後はたったを5万稼ぐのに物凄い苦労が・・・。
それと同時に、夫の高額な税金に悩まされていました。
それでも、仕事は楽しかったので続けるも、第二子を妊娠。
再び、退職することに・・・。
すごく幸せなことだけど、また働けない日々が待っているのかと
私の心は曇っていました。
三浦翠香とは?No.4
[パワハラに遭って雇われることをやめた]へ続く
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三浦翠香とは?No.1
[働くことが生き甲斐だった20代]の続きです。
[女性は結婚するとこんなに働けなくなるの?]
働くことが生き甲斐だった20代は妊娠と共にピリオドを打つことになります。
結婚してから1年程は、いつも通り仕事をこなしていましたが、
妊娠と共に、体調が毎日不安定で、出勤途中の電車の中で、
悪阻のために倒れて救護室に運ばれたことも。
そのことをキッカケに、「働くのは無理だ」と退職を希望しました。
仕事が生き甲斐だった人が、いきなり家で療養生活をすると、
どんな状態かなるのかと言いますと、
「絶望感」です。
妊娠生活も安定期を迎えると、落ち着いてきて、
「出産直前まで働きたい」
と思うようになりましたが、
実際に面接を受けるも妊婦だと伝えると、
雇われることはありませんでした。
社会から弾かれたような、
社会から必要とされていないような気持ちになりました。
「働きたくても働けない」
そんな日々が始まったのです。
三浦翠香とは?No.3
[子供をわずか10ヶ月で保育所に葛藤の毎日]へ続く
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[働くことが生き甲斐だった20代]
大学を中退し、働く道を19歳の時に選びました。
高校時代、パン屋でアルバイトはしていたのですが、
正社員として働くのとでは、責任の重さがやはり違っていました。
ミセス向けアパレル店で社会人になり、3年間程、
毎日指導を受けながら、怒られる日々。
パンを売るのと洋服を売るのとでは当たり前ですが、
大きく違います。
洋服を売るには、接客に加え、販売力が必要不可欠。
主に、販売の仕方について厳しい指導を毎日受けていました。
出勤が辛く、体重が10キロ痩せたこともありましたが、
仕事が辛いと言うよりかは、上司との付き合いが辛かったです。
そんな私は、3年後、アパレルの派遣会社に転職し、
派遣社員として百貨店の中にあるブランドに勤務し始めました。
もともと仕事に対しては真面目で楽しめるタイプだったので、
すぐに仕事は覚えられましたし、
前職で厳しく磨かれた接客販売力が花を咲かせて、
自分のお得意様が少しずつ増えていきました。
やがて2年程勤めて、店の副店長に。
お得意様との関係作りや、
新規のお客様に対する「お客様の心を大切に接客する」接客方法で、
店の売り上げを支える存在となっていきました。
原宿の本社を定期的に訪れては、在庫管理、顧客管理、イベント企画など、
店の仕事は全体的にこなしていました。
仕事が波に乗り、生き甲斐と感じていたところ・・・。
そんな私も副店長になってから3年後、転機をむかえます。
三浦翠香とは?No.2
[女性は結婚するとこんなに働けなくなるの?]へ続く
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